労働者が退職するにあたって、使用者から「同業他社に就職しない」「競合する事業を営まない」ことなどを約束する誓約書に署名・押印するよう求められることがあります。このように退職後の労働者に競業避止義務を課す誓約書は、労働者の職業選択の自由を制約するものであることから、その有効性が問題となります。
この点、近年の裁判例は、雇用の流動化を背景として、有効性をより厳格に判断する傾向にありますが、その判断基準について確立した判例は未だありません。
裁判例が判断にあたって取り上げている要素は、(1)競業を禁じる正当な目的(営業秘密の保護等)の有無、(2)労働者の職務・地位(営業秘密に触れるのか否か等)、(3)競業が禁止される期間・地域、(4)代償措置(退職金の割増等)の有無・内容、といった事項です。
代償措置の存在を有効性の不可欠の条件とした裁判例も出ています(東京貨物社(退職金)事件東地決H12.12.18労判807号32頁)。
そうすると、代償措置も何もなく、期間や地域の制限もないような誓約書なら無効と判断される可能性が高く、署名・押印してしまっても問題ない、といってよいと思われるかも知れません。
しかしながら、上述のとおり判例で判断基準が確立しているわけではありませんので、当該事案の具体的事情のもとで実際に裁判所が無効と判断するか否かは不透明です。
そもそも労働者は当然に退職後に競業避止義務を負うものではなく、競業避止義務が認められるためには特別な根拠が必要です。他に根拠がない場合、誓約書に署名しなければ、およそ競業避止義務違反の責任を問われることはないのであって、誓約書に署名・押印することは多少なりとも責任を負う可能性を生じさせる危険な行為といえます。
したがって、退職後に競業避止義務を負うことを約する誓約書に署名・押印することについては、署名・押印することによって被ることのあるべき不利益と署名・押印を拒否することによって被ることのあるべき不利益とそれらの可能性の程度を比較考量して慎重に判断すべきです。